ポリオ−早期根絶が待ち望まれる感染症の一つ−
北海道立衛生研究所微生物部腸管系ウイルス科 三好 正浩

 ポリオ(急性灰白髄炎、小児マヒ)は、ポリオウイルスによって引き起こされる感染症です。ポリオは、ほんの半世紀ほど前まで人類にとって脅威の病でした が、1950年代に開発されたワクチンによって患者数が大きく減少しました。我が国では、1980年を最後に野生株ポリオウイルスによる患者は認められて いません。しかしながら国内では、生ワクチンに使用される弱毒のポリオウイルスによる麻痺患者が、今も年間1名程度発生しています。一方世界では、ワクチ ン接種が十分になされず、ポリオ患者の発生が絶えない国や地域が残されています。今回は、根絶に向け地球規模の取り組みが続くポリオについて取り上げてみ ます。

「小児マヒ」、小児のみにあらず
 ポリオウイルスは、ヒトの口を経て体内に取り込まれます。そして、のどや腸管の粘膜上皮細胞に侵入し、まずそこで増殖します。感染者のほとんど(9割以 上)は無症状ですが、感染後3-5日間の潜伏期間を経て軽い発熱・のどの痛み・頭痛・嘔吐や下痢などの消化器症状が見られることがあります。ウイルスは、 侵入門戸となった細胞で増えた後、血流に乗って全身を巡り中枢神経に到達します。そして、特に脊髄前角や大脳皮質にある運動を司る神経細胞に感染します。 これらの神経細胞が破壊され、機能しなくなると手足に麻痺を生じます。さらに症状が進行すると、横隔膜や延髄の麻痺を引き起こし、呼吸が出来なくなって死 亡することもあります。およそ半世紀前の新聞には、ポリオ禍に見舞われたヒトの記事が幾度となく紙上をにぎわし、予防対策が確立されていなかった頃の混乱 と苦悩が偲ばれます。感染者の多くが子どもであったことから「小児マヒ」と呼ばれてきました。しかし、成人でも免疫の無いヒトは感染し発症する危険があり ます。ポリオによる麻痺が出現した場合、残念ながら現在も治療による確実な回復方法はありません。従って、発症しないように予防対策を講じることこそがポ リオを防ぐ最も効果的な方法なのです。

ポリオの流行とワクチン
 ポリオについて最も古いとされる記録は、紀元前1580〜1350年頃のエジプト第18王朝時代にさかのぼります。この時代の石碑にポリオ患者と見られ る若い僧の像が刻まれているのです。20世紀に入ると、ポリオは世界各地で流行の報告をみるようになります。北海道では1960年(昭和35年)、道央を 中心に大流行がありました。この年、全国各地でもポリオが猛威をふるい、5600名を超える患者が発生しています(図1)。当時、海外の一部の国では、ポ リオワクチンによる予防接種の導入が始まっていました。その頃日本は、ワクチンの国産化に着手し、定期接種の法制化を進めているところでした。しかし、 1960年の予想外の患者発生に加え、それを上回る流行の兆しをみせた翌年、国民の間には一刻も早いワクチン接種を望む声が急速に高まっていきます。その 結果、国産ワクチンの承認を待たずして、1961年の7月には、旧ソビエトやカナダから1300万人分の経口生ワクチンが緊急輸入されることとなり、世界 に先駆けて全国一斉接種が実施されるに至りました。その後、1964年からは定期接種が行われるようになり、ポリオ患者の発生数は大きく減少していきます (図1)。

図1【国内におけるポリオ届出患者数、1949年〜2007年】(グラフ内の数字は患者数を示す。:1961年までは厚生白書昭和36及び37年度版、1962年以降は病原微生物検出情報2009年7月号の情報に基づいて作成)

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 現在、日本では生後3ヶ月から90ヶ月までの乳幼児に2回、経口生ワクチンの定期接種が行われています。ポリオウイルスには、I、II及びIII型の3 つの型が存在します。生ワクチンには毒性を弱めたこれら全ての型が含まれており、接種する(飲む)ことでそれぞれの免疫がつき、ポリオの感染を予防するこ とができます。現在、我が国のワクチンの接種率は95%を超えており、社会レベルの集団免疫状態にあると言えます。これによってポリオの大きな流行は回避 できますが、しかし、一人ひとりはどうでしょうか。厚生労働省は、ワクチンがきちんと効いているかどうか、流行予測調査事業のなかで国民のポリオに対する 抗体保有状況を調べています。それによると、概ね抗体を保有しているものの1975年(昭和50年)から1977年(昭和52年)生まれのヒトは、その大 多数がワクチン接種を受けたにもかかわらず他の年生まれのヒトよりもI型の抗体保有率が低いこと、またIII型の抗体保有率が他の二つの型よりも低いこと が明らかにされています。先にも述べましたがポリオは免疫を持っていない成人にも感染し発症します。従って、ワクチン接種の機会を逃したヒトはもちろんの こと、1975〜1977年に生まれたヒトは、あらためてワクチン接種を受けることが予防に大切なことと考えられます。ポリオのワクチンには、大きく分け て、毒力の弱いポリオウイルスを含んだ生ワクチンと感染性を失ったウイルス抗原による不活化ワクチンがあります。現在、国内で使用されているワクチンは、 I、II及びIII型の全ての型に対応した三価の生ワクチンです。海外では、不活化ワクチンやそれぞれの型に特化した単価の生ワクチンも使用されていま す。

ワクチン接種の徹底−地球規模の根絶作戦−
 1988年、世界保健機関(WHO)は地球上から小児麻痺をなくすためポリオ根絶計画をスタートさせました。計画は、全ての国における患者の発見と徹底 したワクチン接種による流行拡大の阻止を戦略に、新たなポリオ患者の出現を絶とうとするものです。ポリオウイルスはヒトのみを宿主として増殖するため、ヒ トにおいて予防出来れば根絶可能というわけです。これによってアメリカ地域では1994年に、日本を含む西太平洋地域では2000年に、ヨーロッパ地域で は2002年6月にそれぞれの地域レベルでの野生株ポリオウイルスによる新規患者の根絶が宣言されました。しかしながら、これら以外の地域では今も患者発 生が報告されている国があります。2003年、全世界では784人の患者が報告され、そのうち355人はナイジェリアからでした。ナイジェリアにおける流 行は、国内の有力な宗教家や医師などによるワクチンに対する不信感が接種の中断を招いたためとされ、周辺諸国にも患者が波及する事態を引き起こしました。 2006年にはナイジェリアにおいて1122人、世界全体では1997人の患者が報告されており、2000年以降では最も多い年となりました。また、 2009年は、これまでにインド、パキスタン、ナイジェリア、アフガニスタンをはじめとする21カ国(図2)において総計1020人(9月22日暫定数) の患者が報告されています。


図2【野生株ポリオウイルスによるポリオ発生国、2009年3月23日〜9月22日】(2009年9月22日付のWHO本部提供資料を一部改変)

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 特にI型やIII型の野生株ポリオウイルスによる患者が後を絶ちません。WHOは、これらの国において新たに患者が確認された地域を中心にワクチン接種 活動を実施しています。例えば2008年に559人の患者を出したインドの場合、2009年に入ってからもIII型野生株による発生がみられた北部では、 3月初旬にIII型に的を絞った単価ワクチンの集団接種を行い、翌4月と5月にはI型に対する単価ワクチンを、更に6月にもワクチンの集団接種を実施す る、といった具合に精力的な予防活動を行っています。

望まれる安全で安価な不活化ワクチン
 生ワクチンは、弱毒とはいえ感染力を持ったポリオウイルスを用いて製造されています。そのため、生ワクチンの使用を続ける限りワクチン由来麻痺の危険性 が残ります。そこで、期待されるのは、感染性ウイルスを含まない不活化ワクチンの導入です。WHOは、野生株ポリオウイルスの伝播の世界的終息を確認した 後、弱毒株も含めたポリオウイルスの感染(生ワクチンによる感染も含まれる)を皆無にするため、生ワクチン接種を停止する方針を打ち出しています。全ての ワクチンが不活化ワクチンに移行されたならば、ワクチン由来麻痺の危険性もこれまで以上に軽減することが可能になるのです。しかし、不活化ワクチンの導入 には安全性の確立や製造コストの低減といった未解決の課題が残されています。今後我が国は、これらの解決を目指しつつ、世界的な状況もみながらポリオ対策 の指針を改めていく時期になると考えられます。

 衛生研究所では、ポリオが疑われる患者が発生した 場合、そのヒトの糞便や髄液などを用いてウイルス検査を行い、ポリオウイルスの関与を調査しています。また、道内の健康な小児の糞便について定期的にウイ ルス分離を行い、ポリオウイルスがきちんと抑えられているかどうかモニタリングをしています。これらの検査結果は、我が国におけるポリオの流行予防対策に 役立てられています。

プロフィール:みよし・まさひろ。平成11年、北海道立衛生研究所勤務。疫学部ウイルス科、微生物部腸管系ウイルス科、生物科学部感染病理科を経て、平成19年4月再び現科に配属、現在に至る。
 
 

この記事は、2009年11月9日に「しゃりばり」ウェブページに掲載されたものです。