健康科学部主任研究員・理学博士 神和夫

 重症急性呼吸器症候群(SARS)や鳥インフルエンザの流行など、野生生物が人の健康や経済活動に重大な影響を及ぼす出来事がここ1〜2年相次いで発生しています。一方で人間の活動が野生生物にさまざまな影響をもたらし続けています。野生生物の異変は生態系の撹乱にとどまらず、やがて人の生活の豊かさに影響を及ぼすことが懸念されています。
 原野を闊歩するエゾシカや冬季に飛来するオオワシ・オジロワシは北海道の自然の豊かさを代表するような野生生物です。ところが1990年代後半から、エゾシカ猟に用いられた鉛弾が原因で天然記念物の希少ワシ類が鉛中毒で相次いで死亡しています。なぜこのようなことが起こっているのでしょう。

エゾシカ生息数の急増と農林業被害
 エゾシカは明治初期の大雪と乱獲により絶滅の危機に瀕しましたが、保護政策とその後の生息環境の改変もあって急激に個体数を回復しました。自然増加率は年間16〜21%と言われています。積雪が少なく冬季の重要な餌であるクマザサとミヤコザサが多い道東を中心に分布していますが、1990年代には食害による農・林業被害や自然生態系の破壊が顕著になり、1996年度の被害額は50億円にも達しました。このため北海道はエゾシカ対策として個体数管理、農林業被害防止、シカ肉の有効活用などに取り組んでいます。これに伴い銃猟による捕獲頭数は年間数万頭に急増しました。

オオワシ・オジロワシの生息数と越冬地域
 オオワシは総個体数5000〜6000羽、越冬のため日本に渡ってくる個体は1500羽程度と見積もられています。翼前部、脚、尾羽の白と体全体の黒とのコントラストが美しく、黄色の嘴も鮮やかです。オジロワシはつがい数5000〜7000と推定され、北海道に約60の営巣地が確認されています。両種とも翼を広げると2メートル以上にもなる大型のワシ類で、オオワシは絶滅危惧U類(絶滅の危険が増大している種)に、オジロワシは絶滅危惧TB種(近い将来における絶滅の危険性が高い種)に指定されています。これらのワシは海ワシ類と呼ばれるように、サケやタラなどエサの多くを海に依存し、1990年代前半にはほとんどが沿岸部で越冬していました。

ワシ類の鉛中毒と鉛の由来
 1997年1月頃から、オオワシやオジロワシの死体が道東の内陸部で見つかるようになりました(写真)。これらのワシ類の肝臓や腎臓の鉛濃度は通常の数百倍も高く、胃の中からエゾシカの体毛と金属片がしばしば出てきました。この金属片はカモ猟等で使用される鉛散弾粒とは異なるもので、ライフル弾の鉛破片であることが判明しました。エゾシカ体内を貫通した場合でもライフル弾の破片がエゾシカ体内に留まることも確認され、ワシ類はエゾシカ残滓を食べた結果、鉛中毒を発症したことが明らかになりました。エゾシカの捕獲頭数は毎年数万頭であり、回収されずに放置される個体が相当数あるのが実情です。いわば"内陸部の冷蔵のエサ"が海ワシ類の採餌行動に変化をもたらしたのです。ところでワシ類は胃の中の未消化物をペリットとして吐き出すため、鉛中毒で死亡した個体の胃から鉛片が検出されないこともしばしばあり、確定診断のためには肝臓などの鉛濃度を測定する必要があります。


            収容されたオオワシ

鉛弾の使用規制
 北海道では1998年の狩猟期間の前に、鉛が飛び散らないフェイルセーフ型のライフル弾や純銅弾への切り替えの指導、エゾシカの回収ステーションの設置などが行われました。2000年にはエゾシカ猟における鉛ライフル弾が使用禁止に、2001年には大型獣用の散弾銃で用いられる鉛スラグ弾などもエゾシカ猟で使用禁止になりました。素早い行政対応と言えます。しかしながら、1997年以降ワシ類の鉛中毒死は、判明しただけで110羽以上に達しました。アメリカにおけるハクトウワシの鉛中毒死と比較しても顕著で、世界で最も高い密度で希少ワシ類の鉛中毒が発生してしまったことになります。
 この間、ワシ類の鉛中毒を防止するためのNGOが組織され、ワシ類の被害の実態把握、非鉛弾の普及、放置されたエゾシカ残滓の回収などに貢献しています。当所も鉛汚染の実態把握に積極的に取り組んできました。環境省、北海道、NGOの連携によりワシ類の収容から死因の解明までのルートがほぼ確立されるとともに、猟友会の協力を得て未然防止のための努力が払われています。
 しかしながら、エゾシカ猟における鉛弾の使用が全面的に禁止されてから3シーズン目となる2003-2004年の飛来期にもオオワシ・オジロワシの鉛中毒死が確認されています(3月10日現在6羽)。また、被害はオオタカやクマタカといった希少猛禽類にも広がっています。鉛弾が依然としてエゾシカ猟に使用されていると考えざるを得ません。こうしたことから、規制を徹底するためにヒグマ猟についても鉛弾の使用規制を拡大することが検討され始めています。また、エゾシカ猟で顕在化したワシ類の被害が国内の他の希少種で顕在化しないうちに全国レベルで対策を立てることが望まれます。
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 希少ワシ類を保護するために、越冬地における餌場の確保など本道の環境保全が課題になっています。しかし、それだけでは十分とは言えません。サハリンなど繁殖地の急激な環境悪化も伝えられており、国際的な連携による保護が必要になっています。
 なお、水鳥の狩猟で使用される鉛散弾は全面禁止に至っていないため、オオハクチョウやコハクチョウの鉛中毒死が毎年各地で発生しています。消化を助けるための小石とともに散弾粒を摂取することで鉛中毒に罹患するのです。これについても早急な対策がとられる必要があります。さらに、釣り用の鉛製重りもしばしばハクチョウ類の鉛中毒の原因となっていることを附記します。鉛は便利でありふれた物質ですが人の健康のみならず、野生生物の生存を脅かす物質でもあるのです。

神和夫(じんかずお)
ヒ素などの有害元素の化学形態別分析、産業廃棄物の有害物質の分析や農薬の環境動態に関する研究、室内空気質に関する研究、シラカパ花粉の飛散情報に関する研究などに取り組んでいる。1989年に北海道美唄市宮島沼でオオハクチョウの鉛中毒事故が発生し、原因究明、治療、対策にかかわって以来、国内における渡り鳥の鉛汚染の実態調査を行っている。
 
 

この記事は「しゃりばり」No.267(2004年5月)に掲載されたものです。