微生物部食品微生物科長 山口敬治


食卓がにぎわう
 現在、日本の食糧自給率は50%を下回って7年ほどになるであろうか。
 停滞しているとはいえ日本経済は世界各地から食品・食材を輸入しており、地球の裏側で養殖されたエビや大西洋でとれたマグロ、チベットの山奥の松茸、アラスカのイクラや数の子、中国の野菜をはじめ元々日本人になじみのない食品までわれわれの食卓をにぎわしている。
 しかし、現在のように多様な食品が一般庶民に楽しめるようになったのは、戦後、しかも、1970年代の高度経済成長以降と考えて良いだろう。経済的に裕福になったこともさることながら、流通技術ならびに食品保存法の進歩によることが大きい。

「餅」の特別性
 米は、アジアの民族には主食として欠かせないものであり、さまざまな加工により利用され、それぞれの食文化の中で米を用いた食品が開発されてきた。そのなかでも、蒸した餅米を加圧により潰し均一にして丸めた「餅」は、かつて日本人の食生活の中で特別の地位を与えられていたと考えられる。
 現在でもそうであるが、餅は「ハレ」の場の食品であり正月を迎えるために無くてはならないものであった。高度経済成長期以前の子供たちは冬休み期間中、正月という一大行事で「ウキウキ」した気分になったものだ。
 年末の大掃除とおせち料理の準備は、気分を高揚させるに充分な作業であったが、そのなかでも「餅つき」は子供も参加できるため大きな楽しみであった。当時は都市部においても、餅米を蒸かす臨時の竈を自宅前の道路に設営して餅つきを行ったり、「賃餅」という労働提供型の餅つきを餅屋に注文することも可能であった。
 筆者の実家では餅つき用の臼と杵があり、一時期一家親族で、年末の餅つきを行っていた。餅米の蒸かし方、餅つき時のとり水の量、とり粉の量、鏡開きまで鏡餅にヒビを入れさせない工夫など事細かに、親達から口伝のごとく聞かされたものだ。
 年末についた餅は三が日までに殆どのものが消費されるが、鏡餅は鏡開きまで保存されるため、保管状況やその年の気温によりカビが生えることがあった。もちろん、カビは生えない方が良いので、かびを生やさない餅の作り方や保存法は大切な知識であった。

それぞれのカビたち
 微生物の増殖には、適度な酸素濃度、温度、水分、pHならびに栄養が必要である。カビもその例に漏れず適当な条件下で発育し、「青カビ、赤カビ、黒カビ」等、人間の眼で確認できるようになる。餅に生えるカビとしては、クロカビ、コウジカビ、アオカビ、アカパンカビ、ケカビ、カワキコウジカビなど多数の種類が知られている。
 カビは好気性微生物であり発育に酸素が必要である。中には低酸素状態で発育するカビもありクロコウジカビなどが知られている。しかし、近年、適切な使用により密閉容器包装内の酸素濃度を0%にする脱酸素剤が使用されるようになり、30日以上カビの発育を抑制することが可能となった。
 カビの最適発育温度帯は20〜25℃であるが、多くのカビは10℃以下の低温でも発育し、氷点下で発育できるカビもある。低温で発育するカビを好冷菌と呼び、クロカビなどがそれに該当する。クロカビは耐低温性が高く4℃でも発育するので、伝統的な日本家屋における戌亥隅でも冬期間発育することが可能である。
 多くのカビはほどほどの水分で発育する。カビの発育に必要な水分はカビが生える食物等の水分含量ではなく発育に直接利用できる水分であり、それを「水分活性」という単位で表現する。水分活性を100倍すると相対湿度(%)になるので、感覚的にも理解できるであろう。多くのカビは最低水分活性が0.80〜0.90である。乾燥状態で発育するカビを好乾菌とよび、最低水分活性0.60〜0.75で発育するものがあり、一般の細菌の発育がみられない水分活性(0.85以下)の食品等にもしばしば発生する。われわれの先人は、食塩や砂糖を多量に添加し加工することにより水分活性を低下させ保存に耐える食品を作り出してきたが、これらは食材を保存する「生活の知恵」であった。
 餅の製造は餅米に蒸気を通して調理する「蒸かし」の工程があるので、元々餅米に付着していたカビやカビの胞子は殺菌され、それ以降の工程および保存中におけるカビ胞子の汚染によりカビが発生するものと考えられる。室内屋外を問わず空気中にはカビの胞子が浮遊しており、それらが食品汚染の原因となる。

保存可能期間の錯覚
 食品の製造流通等の技術が進歩するにつれて、正月の餅にも変化が見られる。自宅前での親族が揃って行う勇壮な餅つきは都市部では姿を消し、自動餅つき機による小規模な餅つきが行われたり、1個口で無菌包装され脱酸素剤が入ったマスプロ餅がいつでも購入できるようになった。自動餅つき機による餅つきは、消費量だけの餅を製造することが可能となり、また自宅で手軽に凍結保存することが可能となったため、カビが生えた餅を見る機会が少なくなった。一方、無菌包装餅は大袋を破らない限り常温でも保存が可能であり、「食べたいときに食べたい分量だけ」消費することができるようになった。その結果、あたかも餅という食品はいつまでも保存可能であるかの錯覚を消費者に与えることになった。鏡餅すら形状のとおりのパック詰めになり、鏡開きまで悠々と保存が可能である。
 確かに消費者にとっては便利で一見安全な食品であるが、そのために過去から伝承のように語り継がれてきた食品衛生に関する知識が、途絶えてしまったのではないだろうか。「作り方を誤るとカビの生える餅を作ってしまう」という昔は常識であったことが、現在は様々な保存技術の発達により人々の記憶から拭い去られ、消費者の食品に対する意識は、工業製品に対するそれと同様になってしまったように思えてならない。正月を過ぎて残った餅に生えるカビは、消費者に食品衛生の基本を思い出させる注意信号であったとも考えられる。
 なお、食品のカビ検査は当所食品微生物科において実施しており、苦情食品関連で毎年70〜80件全道の保健所に持ち込まれたもののうち、10〜20件のカビを検査している。苦情食品はボトル入り飲料水、冷凍食品、総菜、乾物等であり、検出されるカビはさまざまである。

山口敬治(やまぐち けいじ)
1954年生まれ。大阪市出身。昭和53年北海道大学獣医学部獣医学研究科を卒業、北海道に奉職。保健所、食肉衛生検査所において食品、食肉、環境衛生行政に従事する。国際協力事業団専門家派遣2回(ザンビア・タイ)。平成11年5月から現職。

この記事は「しゃりばり」No.251(2003年1月)に掲載されたものです。